先日、年長児と共にバスで大友山へ行きました。子どもたちには『ヨモギ摘み』に行くと伝えての移動教室の一環でしたが、保育者側の思いとして子どもたちに学んでほしいことは、自然の中で実際に植物に触れ、ヨモギを摘むということだけではありませんでした。
つい先日、幼児の水難事故が松山市内で起こり、8歳つ3歳の子が命を落としました。同じぐらいの年齢の子どもたちを預かる保育者の一人として、他人事ではないニュースで、大変ショックを受けました。そのことを踏まえ、大友山のヨモギを摘む場所のすぐ側にある池を利用し、水の大切さや恐ろしさ、危険さを子どもたちに伝えるというのが、今回『ヨモギ摘み』と題した移動教室のねらいでした。
29名の子どもたちがヨモギを摘む中、園長先生が細長い長方形の木の板を持って子どもたちを呼びました。半分に分かれ、園長先生の水についてのお話に子どもたちは耳を傾け、目を向けていました。浅く見える池。でも、実際は一番背の高い子どもの頭まで浸かってしまうほどの水深でした。そのことを、板を水にしずめ、水に濡れたところまで池は深さがあるということを園長先生が教えてくださり、子どもたちは聴覚だけでなく視覚からも学んでいました。(環境教育及びサイエンス教育)お話だけで、「池や海は危ないけん、一人で行ったらいけんのよ。浅く見えても、実はとっても深いんよ。」と伝えるよりも、実際子どもたちに分かるように、物を使って説明し理解させることは、子どもたちの頭にも心にも強く残った体験であり、保育者も学びを共有できた時間であったと思います。また、どうして池が深いと危ないのかということ、息はどこでしているのかということ、鼻と口をつぶるとどうなってしまうのかということ、子どもたちは自分たちで考え答えを見つけ、学びにしていました。実際、園に帰ったあと、ヨモギの葉を子どもたち全員でちぎっている時も、「川は危ないんよね。」「つるつるすべって、のぼれんのよね。」「頭では息できんのよね。」との呟きも聞こえました。
私たち保育者にとって、子どもの命を守るということは何よりも大切な使命です。しかし、子どもたちには、自分の命は自分で守るということも学ばせる必要があるのだということを、私は今回の移動教室で改めて学ぶことができました。守ってもらうだけではなく、自分で何が危険か認識することや、お約束事の意味をしっかり理解させること(することができる)は、成長するにつれて必要になってくると思います。今回子どもたちは、楽しい『ヨモギ摘み』の中で、植物や生物への興味を深めただけではなく、交通ルールや水の大切さはもちろんのこと、水によって何が危険であるかを学び、また命の大切さを知るということができました。楽しみながら学び、自分の聴覚・視覚から学び、子どもたちにとっても、私にとっても、心に残る移動教室になりました。